今回は、人の死を願ってしまったときの代償や、自分に返ってくるという迷信は本当なのかについて考えたいと思います。
人の不幸を願った人の末路や、どうしても人の不幸を喜んでしまうのをやめたいときどうすればいいのでしょうか?
生きていれば色々ありますが、人の死を願ってしまう時は、自身の心がとても危険な状況にあるかもしれません。
でも自分では自覚がなかったり、原因も見つけられないなんてこともあります。
それでも、人の死を願う行為は自分のためにはなりません。
苦しくて悩んでいる人は、ぜひ最後まで読んでみてください。
人の死を願ってしまった代償とは?
人生には笑ってしまうぐらい調子の良い時期もあれば、何もかもが上手くいかない苦しい時期もありますよね。
余裕があるときは全てのことをポジティブに考えられたり、人に優しくできても、余裕がないと自分のことしか考えられず、常にネガティブになりがちです。
そんな中でも人間関係に悩む人は多く、時には『あの人がいなくなればいいのに・・』と人の死を願ってしまうほど、心身共に追い詰められてしまう状況もないとは限りません。
とは言っても、人の死を願う自分が好きな人もいないはずです。
人の死を願ってしまった代償は、自身の心に残る罪悪感でなないでしょうか。
突発的に『死んでしまえばいいのに』と願ったとしても、そんな自分を気持ち良くは思えないでしょう。
逆に『どうして私はこんなことを願ってしまうのか』『人の死を願うなんて最低だ』自分を責めてしまい、一度でも願ってしまったことに罪悪感を抱き続けます。
さらにそれが癖となり『上手くいかなくなると誰かの不幸を願う』そんな負のループが続く可能性もあります。
代償とは目に見えるものだけではありません。
生きていくのに一番大切な心の中に宿ることもあると理解しておきましょう。
人の死を願ってしまった報いは自分に返ってくるは本当?
『人の死を願うと自分に返ってくる』という言葉は、みなさんも一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。
この言葉だけを聞くと単なる迷信のようですが、私は人の死を願うと自分に返ってくる可能性はあると考えます。
人の死を願ったからといって必ず自分も死んでしまうと決まった話ではありませんが〔人の不幸を願った後に自分が不幸にあう〕といったケースは多いです。
それは偶然なのか、本当に自分に返ってきてるのかは分かりませんが、人の死を願うほどのマイナスエネルギーが、自分自身を取り巻いているのは事実でしょう。
できる限り早く、負の感情の連鎖から抜け出すことが、自身の幸せに繋がると思います。
人の不幸を願った末路とは?
自分の人生が上手くいかないと、周りは楽をしていて、自分だけが辛く厳しい状態に置かれているように感じてしまいますよね。
順風満帆そうに生きている人が羨ましくなり、その人の不幸を望んでしまうこともあるでしょう。
しかし、人の不幸を願った末路には、【自分の不幸が待っている】かもしれません。
先程もお話したように、誰かの不幸を願っている状況は自身の心が荒れている証拠です。
その荒れている状態では何も上手くいきません。
さらには他人を良く思えず信頼することも難しいはずです。
その結果、『自分は不幸な人間だ』と感じることが増えるでしょう。
人の不幸を喜んでしまうのをやめたいときは?
人の不幸を喜んでしまう自分は、誰もが嫌いなはずです。
人の不幸を喜ばないためには、自身を愛し幸せになることが大切です。
まずは他人との比較をやめます。
そして自分としっかり向き合います。
さらには、自分を好きでいるための努力を続けてください。
自分を愛し幸せになるためには〔自分を好きになる・自己肯定感を上げる・他人と比較しない〕ことが重要です。
そこまでいけば自然と幸せを感じ、人の幸せを喜べるようになるはずです。
まとめ
どのような自分でいるか、幸せになるか不幸せになるか、人生は全て自分次第です。
人それぞれスタートラインも違うので、時に羨ましく思うこともあるでしょう。
しかし、人の不幸の上に自身の幸せはないと理解し、自分を大切に生きてください。
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